「人間」としての生き方

重いタイトルである。

今、読んでいる本のタイトル。
内容に触れる前に
そもそも読書を開始したのはいつ以来だろうか。
以前は1ヶ月に100冊読んで
「おー、読んでるなー」
とか思ってたのが、
タイに来て5年経つけど、
5年で30冊も読んでないと思う。
「なんでだろう」とずっと思ってた。
本は読まねばと思ってたから、
なんとかして読むために
小説とか読みやすいのを試してみたり、
自己啓発とかも試したし、
色々とやったんだけど、
どんどん読まなくなってしまった。
しかも30冊ぐらいの内ほとんどは
日本の本社の監査役の山口さんから送ってもらったものだし、
自分で買ったのなんてほんと数冊程度。
それが、先週ぐらいから
「読もうかな」って気になってきた。
不思議なもんである。
つーのも今読んでる本が結構難しい本で
気合い入れないと読めないなー、なんて。
読んでく内にそうじゃないことに気づいたんだけど、
全然、気合いじゃない。
むしろ自然に読んでいけばいいと。
ふと思った。
本を読もうと思うってことは何か渇望がある。
知識を得る。
故人に触れる。
自分の頭を整理する。
などなど。
あまり問題を解決したいなというときには
本を読まないんじゃないかな。
本を読んでて結果的に問題解決のヒントになることは
往々にしてあるとは思うけど、
まあ参考書とかそういうのは別にしてね。
俺は今まで本を読まなかった理由がわからなかった。
読みたくならない理由が。
だけど、今少しわかってきた。
自分の頭の中に余裕というスペースがないと
本は読まないのではないか。
逆に言うと本を読みたいと思うことは
まだ自分の中に余裕が少しはあるということ。
ブログもおんなじ。
実はブログは自分の考えをアウトプットすることで
逆に自分の頭を整理することができる。
よって、続けることは自分にとって非常によい。
でも、俺は本と同様にブログも全くか書かなかった。
ってか書く気にならなかった。
頑張って書いたのは数回。
そもそも頑張って書くものではない。
ということで、今また書こうかなと思い始め、
こうして書き始めていることと、
本を読み始めているということは結構関係している。
少しずつ自分の中に余裕というスペースが出来て来ている証拠。
そして、本を読んだり、ブログを書いたりすることで、
このスペースは少しずつ広がり、そして整理されていく。
つまり良い効果が生まれるわけで、
俺にとって一つのバロメーターである。
まあ、ブログ書くのに結局1時間ぐらいは時間かかるしね。
だらだら書いているようだけど、
その時間は「何を書くのか」ということに
自分は集中しているわけだから、
瞑想とかと近い感じじゃないかな。
うん、ホントそんな感じがするわ。
いずれにたってさ、
どんな時でも何かをする余裕というスペースは
絶対に必要だね。
PCだって、メモリ以上のことしようとしたら、
途端に動きが急激に悪くなったり、フリーズしたり。
その時は一旦どれかの作業をストップする。
それでも治らなければすべてストップする。
それでも動きが悪そうであれば、再起動である。
そして、次回もそれぐらいのアプリを
一気に起動させなきゃならなそうであれば、
スペックを上げるしかない。
作業中にスペックアップはダメなのだ。
ハードの問題だから。
一旦電源を落として蓋を開けて、
メモリの交換、または追加ということだ。
人間で言うと何だろう。
再起動はやっぱり一旦全部止めることだよね。
そして少し冷やすために
旅に出たり、本を読んだり、人と会ったり、
わからないけどリフレッシュするわけかな。
ただ、メモリの増量については難しい。
PCのようになかなか一度に処理できる能力を
得られるわけではないからなー。
ってかその能力ってティーンエイジ終わったら、
早々にあがらないんじゃないかな。
ハードってことだから、
脳みそ手術とかってことはあるけど現実的じゃないしね。
でも、1つ1つの処理速度を単純にあげるのは
そうそうできないかもしれないけど、
結果的にあげたり、処理できる量を増やしたりはできるはず。
CPUの方なのかね。
問題に対してのアプローチを変えることで処理速度があがる。
2つのことが同時に起こっても1つのことをやってる間、
もう1つをある程度自分の中で忘れることができる。
こういうのは、”経験”ってやつかと思う。
ホント経験って大事だよね。
いくつになっても新しい経験をすればそれが積み重なる。
そして、単純な処理速度は遅いかもしれないけど、
結果的に多くのものを素早く解決できるわけだ。
この”経験”ってやつは値段がついてないんだけど、
資本社会の今だとある程度、投資した金額に比例するのかな。
まあ王族、皇族など特殊な環境はさておき、
そんな気がしてきた。
大きなお金が絡めばそれだけ経験の対象になる案件も大きくなるような気がする。
お金を使わないバックパッカーとツアーでの参加。
・・・んー、経験という意味が難しいな。
例えばある場所まで行くのに
バックパッカースタイルだと2日で5,000円かかる。
でもツアーだと1日で7,000円でいける。
時間は短いし、ガイドはいるし、移動も自分で調べる必要はない。
しかも泊まるホテルもグレードが高い。
バックバッカーだと自分の力で色々と解決しなきゃならないし、
色々な人と出会えるからそれが経験だと言われると
そう、それも経験なんだよね。
でも、ツアーの経験も侮れないぞ。
なぜ、2,000円追加するだけどこんなに違うんだと。
よくあるでしょ、そういうパターン。
それを実体験できるわけよ。
これもまたバックパッカースタイルでは味わえない。
ん??
なんかちょっとずれてきたか
な?
そうだね、ズレータだね、ちょっと。
まあツアーに驚くことも
バックパックスタイルを経験しているからこそ
感じることができるわけだし
やっぱ比較対象がないとダメか。
しかし、比較対象が多くなればなるほど、
投資が大きい方がでっかい経験な気がするが。。。
でっかいってなんだろう。
社会に与える影響かな。
それが大きいほど大きな経験なのかな。
んー、そろそろメモリいっぱいですな。笑
ということは、ホントは本の紹介をする予定が
その前の段階で終了してしまったか!?笑
まあ、それもまたよしと。
そういや、前回、うつ病の続きもまだだった。
それもやらねばな。
うーん、でも大丈夫。
やらなきゃいけないといいながら、
完全にやらなくてもいいことって認識できるてるから。笑
って、自分でも思ってても言わない方がいいこともあるよね。
ということで、本日はこの辺で。
人間としての生き方 by 安岡 正篤 (PHP文庫)
日比谷さんって方に薦められて読んでるんだけど、なかなか良いぞ。難しい言葉はひとまずおいといて読み進めていけば、苦にはならない。恐らくこれは自分の経験が多ければ多いほど大きく自分に跳ね返ってくるような本だな。ゆえに自分で金を稼いだり、修行したりしてないとそもそも読もうとも思わないと思うわ。笑

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