2013年の1月。天才ハッカーの死。

年明け早々、我がSmart Newsアプリに
「アーロン・シュワルツ(Aaron Swartz)自殺」
とのニュースが入ってきました。

正直、それまで彼の名前は知らなかった。
けど、RSSは知っていた。
ってか、知る前から勝手に使ってた。

「Freedom to Connect」

これについてはどうでしょうか?
情報はフリーになりたがっているのか。
なぜ受身的表現なのかは勉強不足でわかりませんが、
実際にはそういう流れになってきているし、
俺も感覚的にそうなるだろうと思っている。
つまりこれはあれか、
ドラッカーが言うポスト資本主義の次のお話なのか?
現在は情報に価値がある。
金ではない。
グーグルがわかりやすい。
それが情報がフリーとなった場合は、
最後に残るのは創造性、個性である。
佐々木俊尚さんもブログか何かで言っていた。
つまり、フリーとは同一化とも取れるのかな。
貴金属と同じで希少だから価値がある。
他人のものは良く見える的な。
モノに関してはどうなんだろう。
人類が死なないレベルの食料生産が可能になって、
(とは言ってもすでにそのレベルなんだよね、確か。
先進国では食い物の半分近くをゴミで廃棄してるとかあったもんね。)
技術向上により生産もコストがかからなくなっていく。
つまりフリーに近づくわけだ。
フォアグラやフカヒレなども人工的に安価にほぼ完璧に作れるようになる。
つーか、フカヒレはありましたね、最近そんなニュースが。w
つーことで、情報もモノも限りなくフリーになっていくわけか。
なんか、『神の見えざる手』みてぇな感じ。
まぁこいつが社会に利益をもたらすのかどうかはさておき、
いずれにせよ、俺が生きている間にすごい変化しそうだ。
というか、すごい時代に生きている。

我々、日本人が数千年前からそうだっただろう、
組織への帰属意識が無くなるかも知れないわけで、
なんだかすんげぇことになりそうだ。
江戸時代は藩への帰属意識だったり、
明治時代はこりゃあんまり無かったのかな、
でも日本という国を意識し始め、
国への帰属意識はあったろう。
昭和時代では天皇への帰属意識、
戦争終わって、会社への帰属意識。
これって国民性なのか、なんなんでしょう。
人間1人では生きていけない。
これは物理的なことじゃなくて、精神的なことだもんね。
かくいう俺も、映画『キャストアウェイ』のような状態になったら、
バレーボールでも何でも友達化して、1人であることを避けるな、確実に。
近しいところだと、1人で寂しいから、
飲み行くのに友達誘ったりね。
もうDNAに組み込まれちゃってるね。
でも、あれか。
会社とかそういうのと違うのは、
上下の繋がりじゃなくて、
横の繋がりであるってことか。
なんだか、すげぇポジション取りが難しいよね、これ。w

色々と話が逸れちゃったんだけど、
未来に向けて、
自分の個性を探します。

壇蜜さんなんて、
暇さえあればオナニーするという女性に同意し、
誰でオナニーしてたのかと思いきや、
「佐野史郎さんでやり尽くしました。かなりの頻度で」
だもんね。

俺もさらりとこういうことを言えるようになりたいね。
(まぁ、わざわざ言わなくてもいいだけどね。笑)

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