『十年後の自分』

 『十年後の自分』、それは私にはわからない。十年前に十年後の自分がわからなかったように。まさか十年前に、こうして作文しているとは露ほどにも思わなかったし、そもそも海外で働こうという選択肢は私の中にはまだ無かったように思える。

 わかりはしないが、希望はある。『人生四十年。四十歳になったら死んでもいいような人生を送ること』である。“四十而不惑(四十にして惑わず)”という孔子の言葉の影響かは定かではないが、いつからか人生四十年と考えるようになった。今ふと思い出してみると私が論語物語(著:下村湖人、出版:講談社学術文庫)を読み始めたのはちょうど十年前、初めて海を渡りスペインでカルチャーショックというものを味わい、自分を見つめている時であったのだから、少なからず影響は受けていそうだ。

当時、疑問に思うことがあった。元服という通過儀礼により奈良時代以降からつい最近まで男子は十六歳までには成人となる。少なくとも成人として扱われる。そして、四十歳前注1には死んでいく。現在、日本の平均寿命は八十歳を越える。“将来、日本は少子高齢化社会になる”と言われ始めたのは三十数年前の昭和五十年前半だそうだが、数年後には実に国民の25%以上が高齢者。疑問は、“少子高齢化社会がすぐそこまで迫っており日本経済は大丈夫か”ということではなくて、“寿命が八十歳にならば四十歳の倍の人生を謳歌できるのだろうか”、“長く生きれば生きるだけ人生は豊かになるのか”という哲学の方だった。

 答えは否だ。人生の豊かさとは一日の密度の濃淡である。その人生の豊かさは年を重ねることに比例しない。私は幕末志士を贔屓にしているのだが、坂本龍馬(満三十一歳没)も高杉晋作(満二十七歳没)も若くして命を落としている。高杉晋作の師であった吉田松陰(満二十九歳没)も然り。確かに彼らの死は寿命とは言い難い。しかし、人生八十年とは思っていなかったはずである。八十年どころか明日をも知れない命であった。そうした日々の中、一日一日を生きていたわけである。決して長生な人を否定しているわけではない。私が未だに理解できていない相対性理論のアルベルト・アインシュタイン(満七十六歳)、あるいはManagementの発明者のピーター・ドラッカー(九十五歳)も私は好きだ。そして彼らは確かにすばらしい人物だ。ただ、幕末の短い期間にこれほど多くの人物が出現したのは決して偶然ではあるまい。彼らに共通して言えるのは明日をも知れない命を、一日一日一生懸命に生きてきたことではないか。文字通り真剣勝負で生きてきたはずだ。では、なぜそうしたのか。それは“環境がそうさせた”と、私は思っている。幕末という環境が坂本竜馬を作り、吉田松陰を作り、高杉晋作を育てた。つまり強烈な外的要因(=幕末)に呼応してそれに比例した内的要因(幕末志士)が生まれるということである。こう考えた私は、当然これを自分に当てはめるとどうなるかを検討するわけである。答えはあまりにもわかりやすい。元来、怠け者の私が外的要因の無い環境(=実家におり、毎日暖かい食事が用意される)に身を置くとどうなるか。それに呼応する内的要因とは堕落である。これで良としてくれるのは坂口安吾ぐらいではないだろうか。

つまり、あまりにもわかりやすい私には、わかりやすい環境が必要なのである。私にとっての幕末が海外であり、今は東南アジアだと思っている。より過酷な環境に身を置くことが必要不可欠なのだ。少々強引であるが、それが素直な気持ちである。そうして、三十九歳になる十年後。願わくは惑うことが無いような人間になっていたいと思う。

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