灰谷健次郎の「太陽の子」を読んだ。
ひたすら読んだ。
5時間以上。
読まなければならないと思った。
俺は戦争を知らない。
教科書上でしか知らない。
歴史とはなんだろう。
教科書で学ぶことだろうか。
それは絶対に違うと俺は思う。
歴史とは記憶だよ。
事実というよりも記憶だと思う。
もちろん、知らないより知ったほうがいいと思うし、
それが受験勉強のため、進学のためだっていいと思う。
いやいやでも、知ると知らないとでは大違いだと思うから。
ただ、それが自分の中でどう捉えているか。
先日も、アフリカのチャドで内戦があり、民間人100人以上が死んだ。
俺からしたら、それはただの事実だ。
それが俺の生活に直接の影響を及ぼすわけでもない。
だから、本当の意味では無関心だ。
でも、俺の親父が死んだのはだたの事実ではない。
新聞にも出ない。
他の人から見たら、取るに足らないことだと思う。
でも、俺は違う。
「太陽の子」
この話は沖縄の話なんだけど、
なーんも知らなかった、俺は。
関係無かったから。
戦争だって経験してねぇし、俺は沖縄生まれでもねぇし。
沖縄の事だけじゃねぇ。
日本の事だって何も知らねぇ。
ホントになんも・・・。
本とか、テレビとか、教科書とか。
それは知ったことになるのか。
ホントの歴史を知ったことになるのか。
この目で見て、この心で感じて、
最低そうしねぇと見えてこねぇもんが沢山あるんじゃねぇかと。
琢磨に言われて、とってもうれしかったけど、
自分でもその時そう思った。
俺はもっと自分に自信を持っていいんじゃねぇかって。
なんでも、色々な人の話を聞いて、
他の人の意見は全部参考になると思って聞いていたけど、
この間の居酒屋の親父を思い出した。
あいつはあいつなりの意見を通した。
俺はその親父の意見を今まで通り、肯定して
俺のプラスとなるように捉えようとしたけども、
なんか、ずっと納得いかなかった。
やっぱ、あいつの考えとは俺は違うなって。
さっき、琢磨と話しててわかった。
それはそれでイイんだと。
俺のアイデンティティーってやつだなって。
違うやつがいるってのを認めていりゃそれでイイんだってね。
それにわざわざ肯定して、賛成する必要はない。
俺には俺の考えがあるんだから。
考えってより感性ってやつが。
理屈じゃねぇんだよ。
哲にはこの本、ベスト3に入るなとか言っといたけど、
ホントはベスト1だよ。
それぐらいの衝撃ってか、感動じゃねぇな、
なんつーか、大切なモンだなぁって思った。
小説だけど、いや、逆に小説だからかな、
大切なモンを確認して、そして俺は俺であり、
俺は全然間違ってねぇよ。
酒入ってるから言ってる事テンでバラバラかも知れないけど、
そういや、一人で酒を飲んだのは初めてかな、
結構、酒入ってる方が正直だったりするもんだ。
この歳にして、まだ変わるかもしれねぇけど、
最近は俺って人間がちょっと見えたりする。
自分は何に感動すんのか、とか
自分は何に怒るのか、何にうれしくなるのか、
何に悲しくなるのか、何に笑顔になるのか。
そら、やっぱり作り笑いなんてできねぇよな。
別にこのブログ書いて誰かに知ってほしいとか
共感してほしいとかよりも
ただ単に俺が感じたことを、今感じたことを
言葉として書いてみたかった。
やはり本はすごい。
ただ、現実はもっとすげぇ。
そしてもっとすげぇ現実はいくらでもある。
俺はだからもっと知りてぇ。
歴史を。
この目で。
この心で。
教科書に載っている一文が
その一文の中身には文字にすれば、
その教科書全文以上の量になるはずだ。
覚えたことはすぐ忘れる。
でも、ガキの頃、近所の友達と遊んだことや、
おかんやおとんに初めて自転車に乗れてほめられたことは
忘れない。
でも、それだって歴史だ。
俺の歴史だ。
教科書の歴史にはそういった歴史が詰まってるはずだ。
俺は、なんでも行動してなんぼのたちだから、
なんか今すぐにでも何かしなきゃって思っちゃってる。
とりあえず、こんな大切な本を俺が読むだけじゃもったいない。
だから、皆には教えとくね~。
今日は雪すごいな。
寒いから、またリンを抱いてねようかなぁ。
おやすみ。
●太陽の子 (角川文庫) 灰谷 健次郎
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